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Time's Arrow

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今年の夏とかけて、 皆既日食と解く、 その心は・・・

偏西風の蛇行によって、日本上空に高気圧が張り出した今年の夏。
燦々と降り注ぐ太陽と都市のヒートアイランドで灼熱の世界と化した日本列島。
実験室の温度、25度( 冷房温度 23 度)。
外気温、36度。
11度の温度差による繰り返し負荷で疲労破壊を起こす身体。

この暑さではなかなか仕事が手につかない中・・・

日本人から出た汗の量は、すでに推定100億リットル(東京ドーム10個分)*に達するであろう状況で、ざっとその1%は水よりも人の体に近いポカリスエットでまかなわれたと概算した夏の終わり。
そう夏の終わり。

今年の夏は、よく遊んだ。
海、山、川、浴衣、海パン、バレー、写真、ビール、ビール、ビール。

小学生が例え遊びの王様を自負したとしても、
それはまだ君が井の中の蛙であるからそう言うことが言えるんだよと
軽くあしらえるほどの充実したD3の夏の余暇。

もし、この夏に悔いがあるとすれば、
予想以上に膨らんだ下腹部のライン。
そう、ライン。

女性陣を幻滅させたくない思いからの、
必死の3段論法。
「お腹やばいんだよね~」「ほらやばいっしょ」「でもお腹出てても全然いいよね~」
一種の洗脳。
洗脳は繰り返すことが基本。By ヒトラー

今日次期国交省の官僚に中央道の文句を言っておきました。
そのひどい渋滞の合間にできたなぞかけ。

ガソリンとかけまして、
AKB48と解く
その心は・・・よく燃える(萌える)

結構うまくできたと思ったのですが、いまいち評判が悪かったようで・・・
ということで、とにもかくにも暑く楽しかった2010年の夏も、ようやく熱が冷めてきたらしく、どうやらこのあたりでで終わりのようです。

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今年の夏とかけて、
皆既日食と解く
その心は・・・

一生に一度出会うかの美しく感動的で興奮した時間

ではでは、お後がよろしいようで。

おわり
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by faceless_masses | 2010-08-31 00:31 | 日常

ならば問う。非厳密あるいは矛盾が常に何らの働きもしなかった 歴史がありえたか

"定義できるものが、すなわち存在するものである"


数学は“何か”を定義することによって物事を認識することができる。すなわち厳密に定義できるものだけが数学の世界で存在が可能である。数学で定義されたものは万人に認識され、それは存在となる・・・

三角形は最も簡単な図形でなじみ深い。これが存在するためにはどのような定義が必要か。例えば3点を線で結んでつくられる図形と定義しよう。この定義は僕達が良く知る三角形だろうか。曲線でこの三点を結んだ図形は三角形といえるであろうか。すなわち三点を直線で結んだ図形こそが三角形である。しかし、直線とは何か。空間中を直線で結ぶとはどのように定義できるのか。それは、点と点を結ぶ最短距離ということになるであろう。しかし、もし空間がゆがんでいたら、直線とは何を意味するのか。だからこの空間も厳密に定義する必要がある。つまり、僕達はゆがみのない空間(ユークリッド空間)において存在する3点を最短距離で結ぶことによって三角形を定義することができる。この定義によって三角形は厳密に存在し、その存在は内角の和が180度になるという定理とともに万人に認識される・・・

万人の認識を積み上げていくのが学問であり、それが枠組みを築く。


“ならば問う。非厳密あるいは矛盾が常に何らの働きもしなかった 歴史がありえたか”


 一人の人間を我は何者であると定義することなどできるだろうか。それは三角形を定義するように厳密な定義によって万人の認識を築くことなど可能だろうか。そして、例えそれを定義できたとして複雑な人間の相互作用によって生じる結果を厳密に導くことなどできるだろうか。

 万人の認識には及ばない共感
 認識をはるかに越えた存在

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 要はみんなで伊豆に行ってきてとても楽しかったのです。

 おわり

*引用は森博嗣 「笑わない数学者」より
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by faceless_masses | 2010-08-25 01:26 | 日常

日本と韓国の未来

お盆のNHK番組で日本と韓国の未来を語るという番組が放送された。

その中で、崔洋一氏の言論封鎖発現が物議を醸し出している。
この件については、さまざまな批判がネット上を駆け巡っているので、
あまりここでそれに触れることは避けたいが、一つだけ私見を述べれば、

客観的に物事をとらえるという行為は、
仮の正しさを認識するということである。

我々がある客観的な事実に基づいて物事を考えるという手法をとる以上、
その客観的な事実の正しさ(正確にはその解釈の正しさ)を常に証明する必要がある。

数学であれば、その客観的な事実は演繹的にまたは帰納的に正しく証明が進められる。

物理は数学で基礎づけられた定理に基づいた論理と、実際の現象との整合性から客観的事実の認定が行われる。

さらに化学となると、その現象の理解は一層複雑になり、事実の認定が難しくなる。ここから化学屋はその過程における事実の認定そのものよりも最終的なものだけが事実として確かめられれば良いという発想が生まれる。

さて主に社会学や歴史認識などの極めて客観的事実が乏しく、さらにその社会や歴史を形成する多数の人が関与することが求められる場合には、その事実認定は極めて難しくなる。さらにこの場合の事実認定では、その歴史的に起こった出来事(事実)とは無関係に現代という要素すら介入する。このような複雑な境界条件から必要なものを取捨選択して、どのように客観的事実を認定するかということは困難な作業であることは容易に理解できるし、その解法は未だ見いだせていない。

このことから論理を構築するにあたって仮の正しさが必然的に登場するが、当然、仮の正しさ故にそれを強弁することはできない。これは事実認識の放棄ではなく、そのプロセスにおいて、それ抜きに議論できないということである。

NHKの崔洋一氏の発言はこの発想の欠落であり、次の京都大学准教授の指摘は正にそれであると理解した。

ところで、僕自身はこのようなやりとりにも興味はあったが、それよりも、日韓の有名人の認識の違いに驚いた。

日本における韓国人の知名度の第一位はペヨンジュであったのに対して、
韓国における日本人の知名度の第一位は伊藤博文であった。

日本のいかにも脳天気な回答と、韓国のくそまじめな回答が、見事なコントラストをなしているが、
僕はこの結果から、日本の先進性と韓国の努力を垣間見ることができたと思っている。

それは、日本の未来志向と韓国の猛烈な経済発展とカルチャーの熟成を感じるからだろう。

我々は決して歴史を軽んじてはいけない。
しかし、同時に我々は歴史の舞台にたっている。
今日は明日の歴史である。

もし、21世紀中頃に本当に日韓の友好が開ける時が来るとすれば、
その扉を開いたのは、ペヨンジュであったと歴史に刻まれるであろう。
伊藤博文はその片隅に亡霊のようにのしかかってくるかもしれないが、
決して再び表舞台に現れることはない。

時は刻々と過ぎていく。
歴史は重い。
しかし、現代、そして今日もまた歴史の舞台であり、この歴史が未来を決定していくことはほとんど確かなように僕には感じられる。
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by faceless_masses | 2010-08-18 17:19 | 社会

バナナはなぜ曲がるのか?

46億年前に地球が誕生し、


35億年前に原始生命体が誕生した。


その後、光合成をできる生物が誕生し、地球は酸素に覆われた。


生命は海から陸にあがり、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類へと進化を遂げる。


植物も、陸上で繁栄し裸子植物、被子植物へと進化した。


そして、46億年の時を経て、ここに奇妙な植物が誕生した。


ショウガ目、ショウガ科、バナナ。


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数千年前に偶然に人々の食に組み込まれ、今では日本でもおなじみの果物となった。


鮮やかな黄色の発色、そして、何よりもこの見事な曲線。


直線ではなく、あえて曲線を選んだバナナ。


なぜ、バナナは曲がるのだろうか?
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by faceless_masses | 2010-08-14 00:21 | 疑問

見たまんま

もし全く常識を持ち合わせていないとしたら・・・

生まれてこの方、宇宙空間で一人孤独に生きてきたとする。

その時、次の写真を見たまんま解釈するとどうなるだろうか。


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気づいたこと

1. 空中に浮いて物体を支えている、もしくは大きな物体に張り付いている。
2. 後ろのコンテナは物体に張り付いている。
3. 人が浮いているので、物体も浮いているのかもしれない。
4. だから、ただ触れているだけかもしれない。
5. 張り付いているのであれば、上の物体は何に張り付いているのか。
6. 腹が出ている。いくらか太っている。

なるほど、この写真を見たまんま説明することがいかに難しいかが分かる。
6. の腹が出ているですら、本来は何か常識的な基準との比較ということになるからなかなか難しい。

でも常識的に、万有引力や地球の大きさを”知っていたら”どのような解釈になるだろうか。
当然、地球が万有引力によって物体を引きつけ、この写真は逆立ちしているのを逆から見ているという結論に落ち着く。そして、ちょっぴり、26歳のお腹にしては大きいという結論に達する。

科学とは、このような知識(先入観を含む)を与え、それによって経験に近い解釈を与える技術のことである。そして、我々の頭にはその常識が擦り込まれている。

だけども、科学の最先端では、このような写真が時々現れ、そこには常識が存在しないので、おおいに惑わされることになるのである。

おわり
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by faceless_masses | 2010-08-13 02:43 | 科学

時間反転対称性の破れ

現在は刻々と過ぎ去り、否応なしに我々は未来を目撃し、過ぎ去った現在は過去に収まる。

2000年前にキリストが現れ、
1192年に鎌倉幕府が成立し、
17世紀、アイザックニュートンが万有引力の法則を見いだし、
20世紀、世界は泥沼の戦争と原子力爆弾の脅威を知り、
21世紀の現在(いま)、このブログを書いている。

この1行を書き記す間にも心臓は10回鼓動し、
この一瞬も多数の化学反応によって脳が機能する。

明日、ニュートンが再び現れることははなく、
来年、25歳になることももはやない。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
すべてのものは移ろいゆく運命にあり、エントロピーは増大する。
それは、現在から未来への方向を約束する。


しかし、時間の矢が翻ることはなかれども、

DNAは複製され、鐘の音は脳に焼き付き、言語によって歴史は記録され、
写真は映像を未来へ残し、コンピュータとハードディスクは膨大な過去を蓄積する。

現在はたった今過ぎ去ったが、こうして現在は蓄積された過去となり、
蓄積された情報が未来のひな形となる・・・


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いくらか言葉遊びに励んだが、
結局は天才の言葉に行きつくのかな。

"I never think of the future. It comes soon enough."
Albert Einstein

おわり

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by faceless_masses | 2010-08-12 18:57 | 思想