ブログトップ

Time's Arrow

twentytwo.exblog.jp

神々の国における原子爆弾

日本は、古くから八百万の神の国として、独自の文化形成を行ってきた。

度重なる天災は、己の無力さを自覚せしめ、自然に対する畏敬の念を覚えずにはいられなかった。

結果として生まれた無常の精神と逞しさを根底にし、困難を乗り越えるための助け合いと協調の精神は、まさに日本文化の土台といっても過言ではない。

70年以上前、日本の文化・土地の命運をかけて、英霊が戦った第二次世界大戦は、広島・長崎に降り注いだ
「死の武器」によって、一つの終わりを迎えた。

その後蜜月の関係を築いた日米であったが、政治的な事情や人々の感情が交錯し、アメリカの大統領が広島を訪れるのには、実に71年の歳月を要した。
戦争の大きな禍根が、悲惨な過去の歴史として深く刻みこまれていることは事実であろう。



平和公園でのスピーチが、日本の歴史における一つの区切りとなることは間違いない。


しかし、逆らえない大きなダイナミズムに巻き込まれながら、突き動いていった戦争と、それによってもたらされた広島での惨劇を無常と感じ、はかない過去の歴史として色あせさせてしまって良いものだろうか。

70年の歳月の中で、過去の戦争の歴史を、我々の力では及ばなかったものとして、とらえて良いのであろうか。

風神雷神のように、あらゆる対象を神として崇める日本人の精神性によって、
原爆投下という悪魔が、神格化されてはいないだろうか。

今回のオバマの訪問に対して、謝罪を求めない日本政府、
マスコミ、国民の態度は、そのことを示すようでもある。

オバマは黒人初の大統領として、高潔な人格で人々を先導してきたのであろう。
その人となりは、今回のことで多くの日本人に伝わったと思う。

だが、核兵器廃絶の問題は現実問題である。
神を崇めるように見上げるだけでは、我々が「責任」を果たすことはできない。

おわり
[PR]
by faceless_masses | 2016-05-28 01:10 | 日本
<< 世界はどこへ向かうのか?(1) 1年の計 >>