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ならば問う。非厳密あるいは矛盾が常に何らの働きもしなかった 歴史がありえたか

"定義できるものが、すなわち存在するものである"


数学は“何か”を定義することによって物事を認識することができる。すなわち厳密に定義できるものだけが数学の世界で存在が可能である。数学で定義されたものは万人に認識され、それは存在となる・・・

三角形は最も簡単な図形でなじみ深い。これが存在するためにはどのような定義が必要か。例えば3点を線で結んでつくられる図形と定義しよう。この定義は僕達が良く知る三角形だろうか。曲線でこの三点を結んだ図形は三角形といえるであろうか。すなわち三点を直線で結んだ図形こそが三角形である。しかし、直線とは何か。空間中を直線で結ぶとはどのように定義できるのか。それは、点と点を結ぶ最短距離ということになるであろう。しかし、もし空間がゆがんでいたら、直線とは何を意味するのか。だからこの空間も厳密に定義する必要がある。つまり、僕達はゆがみのない空間(ユークリッド空間)において存在する3点を最短距離で結ぶことによって三角形を定義することができる。この定義によって三角形は厳密に存在し、その存在は内角の和が180度になるという定理とともに万人に認識される・・・

万人の認識を積み上げていくのが学問であり、それが枠組みを築く。


“ならば問う。非厳密あるいは矛盾が常に何らの働きもしなかった 歴史がありえたか”


 一人の人間を我は何者であると定義することなどできるだろうか。それは三角形を定義するように厳密な定義によって万人の認識を築くことなど可能だろうか。そして、例えそれを定義できたとして複雑な人間の相互作用によって生じる結果を厳密に導くことなどできるだろうか。

 万人の認識には及ばない共感
 認識をはるかに越えた存在

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 要はみんなで伊豆に行ってきてとても楽しかったのです。

 おわり

*引用は森博嗣 「笑わない数学者」より
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by faceless_masses | 2010-08-25 01:26 | 日常
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